お招きいだだきありがとうございます。 私の活動や視点や構想をお話しできる事を うれしく思います。 まず3月11までの、そしてその後の道程について お話したいと思います。 わたしはこの日付で始めなければなりません。 8月6日です。 ほとんどの方々がこの日付をご存知のことと思います。 我が国は原爆を落とされた最初の国ですが、 この日に、広島に原爆が落とされました。 本当に悲劇的で悲しく、私達が共有する記憶です。 そして3日後、二番目の原爆が長崎に落とされました。 少し変な事が、また興味深い事があります。 二つも原爆を落とされた最初の国が、 核エネルギーへと突き進みました。 私達は55基の原発を建設し、 35%の電力は原子力で作られていました。 3月11日までは。 私達はみな、3月11日を知っています。 それは三番目の原爆を 自分達自身によって落としたも同然です。 一つ指摘しておくべきことは、 私達は放射性物質や放射線を 正しく心配する必要があるということです。 心配し過ぎないことも大切です。 私達はこの惨事から回復するためには 本当に助けが必要です。 私達の社会を再建するために。 とにかく日本を避けないでください。 1979年には、私は原子力工学を学んでいました。 京都大学の学生でした。 その頃、私は科学少年でした。 原子力は世界のエネルギー問題を 部分的にでも解決できると 素朴に考えていました。 しかしその年、スリーマイル島の事故が起きました。 原子力では解決できないかもしれない、 むしろ問題を引き起こすかもしれない、と思いました。 1986年、既に私は原子力業界で働いていました。 また政府の原子力安全委員会でも働いており、 また電力業界の原子力部門でも働いていました。 福島第一原発の使用済み燃料関連の仕事もしました。 問題を起こした使用済み燃料プールではなく、 ドライストレージ施設の仕事でしたが、 福島第一原発に何度か行きました。 この年、ご存知のチェルノブイリの事故が起こりました。 この事故の後でさえ、 日本の原子力コミュニティは 原子力を推進し続けました。 私は少しいらいらし、納得できない思いでした。 原子力コミュニティの中にいることで。 だれも本気で原子力の 本当の安全について考えていないのです。 だれも原子力そのものに疑っていませんでした。 いわゆる「原子力村」の中は空っぽでした。 1992年、私は原子力のキャリアをすべて投げ捨て、 スウェーデンに、 エネルギーと環境政策を学びに行きました。 国民投票で原子力の放棄を決定した後の社会が、 実際にどのようなものであるかを学びました。 1992年のことです。 その年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで 第二回の環境サミットが開催されました。 その時ヨーロッパ、とりわけスウェーデンや 他の北欧諸国では、 エネルギーや環境の革命が始まりました。 1990年には炭素税が導入されましたし、 電力市場の改革、原子力の削減や廃止、 再生可能エネルギーの促進や革命が始まりました。 1990年にドイツが フィード・イン・タリフ、固定価格買い取り制度を 導入したからです。 これほどまでに、政治や政策によって 社会が変わっていくのかということに 驚きました。 そして頭の中に、構想や使命が降りてきました。 自分の原子力のキャリアの後にすべき事が分かったのです。 私は決心して日本に戻り、 一人でエネルギー革命を始めました。 そのときは、気候変動サミットの京都会議の1年後でした。 日本は原子力の妄想に強くしがみついています。 そのとき、日本政府は 2010年までにさらに20基の 原発を建設すると宣言していました。 それはまさしく妄想でした。 原子力について賛成や反対の激しい議論が行われましたが、 しかしその議論の中には 本当の政策がまったくありませんでした。 そのため私は自然エネルギー促進法の法案を書きました。 そして、この法案に賛成するよう 与野党ともに働きかけを行いました。 それはまずまず成功しました。 超党派の議員グループができましたが、 官僚機構に妨害されました。 また電力独占体制によっても妨害されました。 しかし日本以外では、 再生可能エネルギーは第4の革命になりつつありました。 過去10年間において、 再生可能エネルギーは本当に普及しました。 去年末の時点で既に、風力、バイオマス、太陽エネルギーが 原子力の発電容量を超しました。 昨年、再生可能エネルギーへの投資総額は、 化石燃料と原子力への投資総額を超えました。 過去10年間で20倍に増えました。 ただ一国、日本だけが取り残されました。 原子力妄想のためです。 しかし日本の原子力の現状を直視しなければなりません。 3月11日の惨事の後、 原子力の発電能力は急激に落ち込みました。 もはや20%以下の電力しか原子力は供給していません。 今後10年間、それらは少しずつ減っていきます。 なぜなら日本の原発は古いものが多いからです。 今から10年後には高々10%となるでしょう。 あるいは決断できれば10年後には 原子力をフェードアウトできているかもしれません。 さて再び3月11日に注目しましょう。 歴史に残る政治的偶然が起こりました。 今年の3月11日の午前中、 再生可能エネルギー法案が閣議決定されました。 現在、議会に送られています。 6月には国会を通過するかどうか、という状況です。 私達は再生可能エネルギー法を成立させるかどうかの 瀬戸際にいるのです。 この法案を成立させられれば、 原子力から再生可能エネルギーへの大きなシフトを 実現できることになります。 ドイツやスウェーデンやスペインなどのように。 もし再生可能エネルギー法案を成立させられなければ、 原子力惨事や原子力妄想は続く事になります。 したがってこの再生可能エネルギー法を成立させるため あなた達の助けが本当に必要なのです。 電話を掛ける事、メールを送る事、ブログを書く事 その他、議会に働きかけるために、 出来る事はなんでもやって、 運動を起こしてください。 現在、将来やチャンスは私達の手の中にあります。 私は、あなた達が日本の将来に対する手助けを してくださることを願っています。 私達の未来がよりグリーンになりますように。 ありがとうございました。