何故 -
なぜ自分の人生はこうなのだろうか?
鳥のさえずりが聞こえ、そして、
カン という乾いた鐘が聞こえる
この世は、私たちが生きる様に合うように、存在している
カン...カン... (乾いた鐘の音)
そして、私たちが存在しているのは、カルマがあるから。
カルマ。
- 過去と未来を結ぶもの。
(鳥のさえずり。カン...カン。遠くに犬の吠える声)
毎朝、私たちは起き、新たな日を迎える。
しかし、私たちはまた、毎朝目を覚まし、過去にも向き合う。
私たちがずっと生きてきた過去に。
(森がさざめく)
先週に向き合い、
去年に向き合い、
そして、前世と向き合う。
これが、カルマ。
避けることはできない。
カルマ - 私たちの人生
(読経)
「カルマ」はサンスクリット語で「行動」を意味する。
カルマをどこにでも見ることができる。
まず、自分たちが何をしたか見てみよう。
昨日は?
去年は?
子どもの頃は?
または、前世で行ったことは?
もし何をしたか覚えていれば、
自分で行ったこと、何であれ、それがカルマなのだ。
それが自分の生き方につながっている。
そして今に至る。
カルマ
- 自分たちが行ってきた全てのこと
仏教徒は「人生は苦難である」と言う。
私たちは自ら苦難を作ってしまうことが、ままある。
自らを苦しめ、また、
他人を苦しめる。実際そうなのだ。
悪いことを言ったり、
私たちは我慢できず、
傷つく。
カルマ- 自ら苦しみを作り出すこと
自らの周りに苦しみを作り出し、
いつかこの世界が、自ら作った苦しみで覆いつくされる。
この世界に、苦しみ以外の何が見出せるだろうか。
苦しみ以外の何を。
自分が以前与えたことをまさに見出すだろう。
私たちは、自らの地獄を作り出すが、
同時に、極楽を作り出すこともできるのである。
カルマ - 極楽か地獄か
(話し声、市場を行き交う音)
この世界には必ず、
因果関係があり、
何もないところには何も起こらない。
この因果関係はまた、
私たちの運命に、
私たちのこれからの生き方にも関係する。
私たちの行い、私たちの考えが、
自らの生き方に何らかの影響を及ぼす。
それらはほんの小さなことかもしれない。
私たちの考え、感情は
私たちの内なる世界を形作っていく。
私たちの言葉や行動が
私たちの周りの世界を形作る。
自らの世界を絶えず作り続け、
自らの生き方を作り上げている。少しずつ、少しずつ。
人や、モノ、行動、それら1つ1つが、
何らかの結果を引き起こすからである。
カルマ - 原因と結果
(鳥のさえずり)
私たちの行動、考えが、
私たちの世界を、ほんの少し形作る。
強欲で怒りに満ちた方に向かって。
いや、慈愛と親しみに満ちた方向へ、か。
この世界に、苦しみを生むこともできるし、
苦しみを避けることもできる。
どちらにするか、私たち自身に委ねられている。
カルマ - 私たちが形作る世界
だからこそ、私たちの行動がこの世界にダイレクトに影響する。
自身の世界は、同様に、他の人の世界でもある。
仏教では、全てが1つなのである。
無関係なものは無い。全てがつながっている。
私たちは皆、つながっている。
自らの未来は、他の人の未来なのである。
時計の歯車のように相互に作用する。
それらは1つなのである。
カルマ - 全ては1つ
(鳥のさえずりとピアノの音)
私たちの命を庭にたとえてみよう。
良く手入れすれば
美しい庭になるだろう。
もちろん、時間も手間もかかる。
(水やりの音)
もちろん多くの
私たちの手に負えないこともある。
例えば、天気、
季節、また、
自分と違う考えの人も、管理できるようなものではない。
しかし、結局のところ、私たちは庭師なのである。
自分たちの庭をどう素敵に見せるかは、
私たち自身で決めるのである。
カルマ - 時間と努力
(鳥のさえずり、読経)
私たちが今の生き方は、カルマにより成っている。
カルマから逃れることはできない。
過去に苦しみを作ってしまったら、
未来にも苦しみが現れるだろう。
未来は、過去の自らの行動の繰り返しにすぎない。
長い間、私たちは
この世界を、怒りと強欲で
満たしてきた。
そして、今も同様である。
例えば、自分の周りの人々の反応、感情の中に、また、
さまざまな状況の中に、怒りと強欲を見ることができる。
以前生み出した苦しみは、
今、新たな苦しみを生み出している。
カルマ - 苦しみが苦しみを生む
では、将来の苦痛を避ける方法は
実際にあるのだろうか。
そう、方法はある。
過去になした好ましくないカルマは、
大きな甕(かめ)の中に落ちた
1滴の汚水のようなものである。
甕の中に落ちてしまい、
それを変えることはできない。
取り出すこともできない。
しかし、きれいな水を継ぎ足すことはできる。
1滴1滴。少しずつ。
暫くすると、甕の中は、
再び、ほぼ100%きれいな水になるだろう。
カルマ - 1滴ずつ
過去の好ましくないカルマを
取り除くことはできないため、
それを希釈し、
分からなくなるまで薄める必要がある。
苦しみを新たに繰り返し作り出すのではなく、
苦しみを避けていく必要がある。
従って、私たちも怒りや強欲を
慈愛と親しみに置き換える必要がある。
自制が必要なのである。
瞑想することで、自分を制していくことを学ぶ。
自分の行動、考え、感情を
自ら制することを学ぶ。
よって、最終的に、
自分の苦しみ、
他人の苦しみを
少なくすることができる。
カルマ - 苦しみでなく自制
カルマは、
私たちと過去の苦しみを繋(つな)げ、
また、未来に苦しみを生むように、
結び付けているものである。
もしここから逃れたければ、
この結びつきを断つ必要がある。
新たな苦しみを生み出すことを
避けなければならない。
そのようにして、私たちは、より良く生きていけるようになる。
来週、
来年、
そして来世も。
カルマ - それは私たちに委ねられている
すべてが好ましく、悪いことは1つもない。
純粋な精神。
これは、過去・現在・未来の三世における、仏陀の教えである。
製作:Jorg Dittmar
スピリチュアル導師:Pra Acham Tippakorn Sukhito
製作部長:Mae Chee Brigitte Schrottenbacher
ナレーション:Morgan Deare
謝意
謝意
Ban Sawang Jai寺院の全ての僧侶へ。
Kate Kamolma Sringamへ。Jeffery Wahlへ。
音楽:Kosinus
Ban Sawang Jai寺院(Pak Chong, タイ)にて、
2012年2月撮影開始。