“ゲームは女性差別?”
“人種差別?”
こうした論争はYouTubeやTumblrに
溢れており 辟易してる人も多いだろう
もはや議論が出尽くしている
というのもある
そこでだ
ゲームは空から
降ってくるモノじゃない
“ゲーム業界”という
黒幕がいるわけでもない
生身の人間が
作っている製品だ
彼らは独自の価値観を持った
異なる国に住んでいる
歴史 地理 宗教 政治 経済
などによって形成された価値観だ
こうした価値観は
芸術と娯楽の源でもある
中国の伝統音楽は
ドイツの伝統音楽と異なる
インドの伝統演劇と
イタリアの伝統演劇もまた
アメリカ文化の特徴は多様性だ
世界中の移民が各々の材料を
持ち寄ってできた ごった煮
だから多種多様な国民をまとめる
大きな理想が支配的価値観となる
たとえば 自由
民主主義 平等 憲法
こうした理想に相反する考えが
アメリカ人にとって不快とされる
独裁 抑圧 差別 排除
ゲームとの関係は?
お気づきだろうが
往々にして ゲームへの批判は
アメリカ人がアメリカ人に
発信している
しかし批判されるゲームは
日本のものも多い
これがいつも不思議なんだ
メディアへの批判は
作者への批判でもある
願わくば 彼らの行動が
改善されることを期待して
しかし批判されるゲームは
米企業が無関係なことも多く
日米のゲーム会社を
区別できない議論は
無意味で非生産的に思える
日本は米国と大きく異なり
米国の基準からすると
遅れている点も多い
たとえば女性の大学進学率
所得格差 労働力参加など
リンクは説明欄に
総じて 米国に比べ
女は男に従うべきという考えが
省みられることは ごく稀で
大衆文化が
それを体現している
日本は極めて均一的でもある
人口の99%以上が単一民族で
移民に消極的なことでも名高い
日本に住むアフリカ系アメリカ人
ベイ・マクニールは
日本での少数者としての体験を
これらの興味深い本に綴っている
ゲーム内の人種差別の多くが
日本人によって行われてきたことは
人種に関する意識や親近感の
欠如で説明がつく
バレット・ウォーレス ルージュラ
「バイオハザード5」のストーリー
頭に羽を付けたキャラたち
「パンチアウト!!」のほぼ全員
80〜90年代 米国のゲーム会社は
日本のゲームを発売する際に
ゲーム内の女性差別を和らげるため
多大な努力を払った
検閲したり
関連商品に多様な
女性キャラを追加し
元ゲームの極端な女性像を
埋め合わせたり
近年 アメリカのゲーム会社は
多種多様なキャラクターの
採用に 以前にも増して積極的だ
一方 日本では…
ちょうど 日本人が「MGSV」で
こんな女性キャラを作ったらしい
胸には絶縁テープ
フィギュアの胸は動きそうだ
もちろんアメリカの
ゲームも完璧ではない
どんな差別であれ
批判に値するアメリカの
ゲームは沢山ある
ただ 人種や性別の定石を
打ち破るゲームは
往々にして 米国の
メジャー企業のものだ
米国には差別や不寛容への
根強い反感があり
制作者は 作品に社会の多様性を
反映させる道徳的義務を感じる
そして失敗すると責められる
時に 他国に対しても
“アメリカの価値は世界の価値”
とライスが言ったように
米国人は
他国も追及してきた
南アの人種 アラブの女性
ロシアの同性愛者差別
だが 批判対象が
明確でなければ無意味だ
国ごとの実状に差があるとき
世界中で同等に問題だと
装うのは 逆効果でしかない
こうした 特定の国の優劣を
仮定するような議論を
快く思わない人が
いるのも確かだけど
重大な問題に取り組むとき
それは仕方のないことだ